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肺癌治療の進歩:分子標的薬剤と特異的免疫療法について

第2呼吸器外科部長  宗 哲哉

 わが国では癌による死亡者数は年間32万人で、その中で肺癌は最も多く6万人を超えています(厚労省人口動態統計2005年度)。癌による死因で肺癌は男性で第1位、女性で第3位です。現在、肺癌の治療は@手術、A全身化学療法(抗癌剤)、B放射線療法が三本柱です。しかし手術である程度、治癒の見込める肺癌を除いて治療成績は良くありません。一方、近年の分子生物学的手法や遺伝子解析の進歩などにより様々な分野の研究が進み、肺癌に対する新規治療法が開発されています。このうち、今回は分子標的薬剤と特異的免疫療法について御紹介いたします。
  まず、イレッサという薬剤をご存知でしょうか?これは最近開発された分子標的薬剤の一つで、非小細胞肺癌をはじめ各種の癌細胞で過剰発現している上皮成長因子受容体(EGFR)を標的としています。EGFRは癌の成長因子と結合すると活性化し増殖するためのシグナルを送りますが、イレッサはEGFRの特定の部位に作用してEGFRが活性化しないようにすることで癌の増殖を抑制します。最近の研究によりイレッサはEGFR遺伝子の変異があると良く効き、この変異は@東洋人、A女性、B非喫煙者、C肺腺癌、に多く認められることが判りました。EGFR変異は手術で採取した腫瘍組織や癌性胸水などがあれば調べることができます。イレッサの副作用として間質性肺炎、皮膚炎、肝・腎機能障害などがあり、特に間質性肺炎は生命に関わる場合がありますので適応を吟味して慎重に投与する必要があります。イレッサとは別の分子標的薬剤も近日中に臨床化されますし、今後さらに多くの分子標的薬剤が開発される予定です。
  次に特異的免疫療法についてです。癌の免疫療法と云えば本や雑誌で広告されている内容(アガリスク、サメの軟骨など)を想像されるかも知れません。これらは主にナチュラルキラー細胞(NK細胞)という免疫細胞を活性化させることで癌を攻撃することを期待する方法で、非特異的免疫療法といいます。この方法は現時点ではほとんど効果を認めておらず、もし効果があっても免疫学的に証明することが困難です。一方、特異的免疫療法とはNK細胞ではなく細胞障害性T細胞というリンパ球が主役です。このリンパ球の表面にはある鍵(T細胞受容体)があって、癌細胞表面の特定の鍵穴(HLAクラスI分子と癌抗原の複合体)のみを認識して癌を攻撃します。私は出身である産業医科大学第二外科学教室で「肺癌に対する特異的免疫療法の確立」をメインテーマとして基礎的研究および臨床試験に従事してきました。特異的免疫療法のコンセプトは癌患者さんの中で細胞障害性T細胞がたくさん増えればそれだけで癌を拒絶できるのではないか、ということです。
具体的な方法として、@癌抗原をワクチンとして投与する方法(癌ワクチン療法)、A試験管内で細胞障害性T細胞のみを培養し生体内に戻す方法(養子免疫療法)などがあります。特に癌ワクチン療法はこれまでに様々の癌種において試みられ、一部の癌種では実際に臨床応用されております。本療法はこれまで重篤な副作用は認められず、安全性が確認されています。本療法の課題としては、@症例が少なく、抗腫瘍効果が従来の化学療法や放射線治療を上回るものではないことや、A癌細胞が生体内の免疫機構から逃避する性質を有すること、などが挙げられます。しかしながら近年の分子生物学的手法や遺伝子解析の進歩などにより、これらの課題は徐々に解明されつつあります。強力な癌抗原を同定し、癌細胞の免疫逃避機構を克服することができたら、本治療は肺癌治療の第4の柱となる可能性があると思われます。

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