ろうさいニュース

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(ろうさいニュース第14号掲載)

病理医の考えごと
新潟労災病院 第2検査科部長 川口 誠

【病理医の仕事】患者さんが病院に来院されると、治療のための適切な診断が必要です。患者さんの体より採取された組織や細胞から顕微鏡用のガラス標本が作られ、この標本を顕微鏡で観察して診断するのが「病理診断」です。それを専門とする医師が病理医で、病院における病理医の存在は、より良質の医療を提供する事につながります。患者さんと直接お話しする機会はありませんが、臨床医への貢献を通じ、患者さんの治療の基盤を支えるという役割を担います。 私は昨年の11月より新潟労災病院で病理医として勤務し、顕微鏡を覗く日々を送っています。最近、仕事に最も影響を与えた書物を紹介したいと思います。ピーターFドラッカーの「新訳、経営者の条件」(ドラッカー選書1、ダイヤモンド社)です。要点を紹介し、ドラッカーの考えから導かれる今後の病院への期待、病理医としての生き方を考えてみます。これ以降、ほとんどの言い回しはこの本からの引用です。
【悩みとドラッカー】医師、看護師、検査技師、薬剤師を含め病院に勤務するのは専門家ですが、基本的に雇われの身であり、命令を受ける身です。完全な人格者ということはあり得ないし、すべての働く人々と同様、自分の心理的欲求や価値観が、病院という組織における仕事と知識を通して満足させられなくてはならない労働者です。患者さんへの貢献に焦点を合わせる事と、組織が自分に要求する種々の仕事、さらに自己実現への要求が完全に一致する訳でなく、それをどのように考え、成果をあげるのかと悩みは尽きません。 私自身、病理医という職業を選択して19年、医師という職業の持つ意味、病院の役割、自分の未来、自分が辛うじて健康である事、年齢が自分の意志とは関係なく重なる事、などについて熟考することなく過ごしてきました。今回の転職を機に、環境や人が変わり考え込みました。「私は弱点で満ちあふれた人間じゃないか?」「自分は十分臨床医の要望に答えることが出来るか?」「自分がやって来た研究に意味があったか?」「この職業は自分に向いているのか?」「なぜ思った成果があがらないのか?」「自分抜きで誰も困らないのでは?」「家族って何だ?」「生きるのって何だ?」「誰にも愛されてないのでは?」「この心理状況から抜ける事は出来るのか?」。周囲の人々の才能、明るさが自分を悩ませ、眠りが浅く、仕事に集中出来ない悶々とした日々を過ごしました。何か私の気持ちを救ってくれるものは無いかと、妻、友人に相談し、うつ病関連あるいは心理学の本や小説を読み漁りました。私の心を楽にさせ、本来の自分を取り戻してくれる言葉とアイデアに満ちた書物があったのです。それがドラッカーです。以下要点を記しますが、この本は仕事において成果をあげるために身につける習慣的な能力の解説です。成果のあげ方が解らなかったために自分を見失っていたとは驚きでした。
【ドラッカーが言う成果をあげるとは】
(1) 何に自分の時間をとられているかを知ることである。そして、残されたわずかな時間を体系的に管理する事である。
(2) 外部の世界に対する貢献に焦点を当てることである。仕事の過程ではなく、成果にその精力を向ける事である。仕事からスタートしてはならない。もちろん、仕事に関する方法や意見などからスタートしてはならない。「期待されている成果は何か」を自問する事からスタートしなければならない。
(3) 強みを基準に据えることである。そして上司、同僚、部下についても、彼らの強みを中心に据えなければならない。それぞれの状況下における強み、すなわちできることを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはならない。すなわちできないことからスタートしてはならない。
(4) 優れた仕事が際だった成果をあげる領域に、力を集中することである。優先順位を決定し、その決定を守るように自らを強制しなければならない。最初に行うべきことを行うことである。2番目に回すべきようなことは、まったく行ってはならない。さもなければ、何事も成し遂げられない。
(5) 最後に、成果をあげるよう意志決定を行うことである。意志決定とは、つまるところ、手順の問題である。そして、成果をあげる意志決定は、過去の事実についての合意ではなく、未来についての異なる意見に基づいて行わなければならない。また、数多くの意志決定を手早く行うことは、間違いである。行うべきは、基本的な意志決定である。諸々の戦術ではなく、一つの正しい戦略についての意志決定である。
【回復】実にこれだけの事だったのです。どうして宗教や心理学の本ではなく、経営学の本なのだ。それで悩みが解消するのか。これで病理医の役割が解るのか、という疑いもありましょう。とにかく私の心にはぴったりはまり、思い当たる事が多く、自分の気持ちを固める事が出来たのです。自分の弱点を責め嘆き、気質までも変えようとしていたつらい気持ちとも別れることができました。
【一転して病院への期待】病院の経営破綻が伝えられ、医療事故、訴訟報道が日常茶飯事となった現代社会が、病院淘汰の時代である事は常識です。病院が生き残れるかどうかは、報酬を支払われているすべての人々、すなわち他の人間の仕事ぶりに責任を持つ経営管理者、主として自分の専門の仕事に責任を持つ専門家といった病院の主要な資源(つまり私たち)が、いかに成果をあげるかにかかっています。ドラッカーの言う、「組織は優秀な人たちがいるから成果をあげるのではない。組織は、組織の水準や習慣や気風によって、自己開発を動機づけるから、優秀な人たちをもつことになる。」という言葉をかみしめる必要があります。生産的でなくなった過去の決定や、劣後事項に誰一人として手を染めてはいけないのです。ひとつの新しい提案、会議は、少なくとも3つの過去の決定事項や会議を捨ててから取り組むぐらいの気概が必要です。
【再び病理医の仕事】患者さんという顧客の要望は、一日も早く病気を治して病院を去る事であり、その要望に答えるために病院のすべての専門職が全力を尽くすとすれば、病理医は正確な診断を求める臨床医の要望に答えることです。治療に役立つ分野の研究に打ち込むことで、他の臨床医の自己開発の動機づけにつながるようにすれば、やる気のある臨床医をこの病院に集めることになるはずです。そんな病理医を目指し成果をあげていくつもりです。具体的に成果をあげる技術が解らないため「生きるとは?」「愛とは?」まで悩み、何とか解決できたという今回の話を「今さらつまらん事を発表してるんじゃない、バカ野郎」と思う方は、すでに人生で成果を出す技術を習得ずみのはずです。

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